10月, 2014年

ホスピス緩和ケア週間

2014-10-09

私がボランティアをしている都立病院で
毎年開催されている「緩和ケアイベント」
今年も手伝いに行き、感じたことを少し。

無知な点はお詫び申し上げます。
何卒ご批正ください。

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看護師さんから病院の緩和ケアに対する説明を聞いたあとの、
患者さんの言葉。

 「この病院の先生や看護師さんに尊敬される患者にならなくては」

信頼とはこうゆうものか。心にて五体投地。

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このとき「白い巨塔」の一幕を思い出していた。

「私のほうが患者さんに救われていた」と気付いた里見医師に、
「医師は患者を敬わなければならない」との大河内教授の言葉。

僧侶こそ、人を敬う存在でなければならない。

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生老病死にひたすら向き合うかたの心にこそ、仏が居る。

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悲嘆に暮れるかたが、人の為に行動する姿や、
高野山奥の院でお百度を踏むおばあさんに、
仏の姿を見ることがある。

その仏であるかたに、帰依し、
お付き添いさせてください、拝ませてください、
という姿勢で読むお経には、より大きな力が生まれる。

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ここまでがようやく出発点、として、

では僧侶は、如何なる実践を以て、
尊敬される存在として信頼を得ることができるか。

これが問題だ。

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病院側の、患者さんを尊敬する理念と姿勢は、
おのずと、患者さんにとって安心できる体制や制度に
つながっていく。

緩和ケア病棟だけでは、
まだまだカヴァーできない制度的問題は多く残るものの、
医師、看護師、薬剤師、そしてボランティアなどが、
チームとして患者さんに向き合おうとする体制そのものに、
多くのかたが安心されていることを垣間見た。

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寺も、菩提心を因とし、大悲を根とすれば
おのずと方便が整うはずである。

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空海大師のお言葉。

「物の興廃は、人による。人の昇沈は、定めて道にあり」

私の寺もかく目指したい、と願いつつ、
ひたすら発心と実践を心するも、
なかなか思うように行かず、あくせくしている私、である。

                            合掌

第10回 21世紀高野山医療フォーラム

2014-10-06

10月4日 日比谷公会堂にて。

めぐみ在宅クリニック 小澤竹俊院長先生や、
聖路加国際病院 細谷亮太先生の講演は
特に聴き応えがあった。

待ったなしの医療の現場からの声は
切実、且つ説得力に溢れていた。

また、臨床宗教師として、
具体的実践を続けている大下大圓住職の活動にも
大いに感銘を受けた。
被災地での足湯隊。目線はおのずと僧侶のほうが下になる。
「実はね」の第一歩になるとのこと。

さらに、山折哲夫さんの、
お迎えに来るという天の声に対し、
「今ならいいよ」と言える心境、、などなど。。

「宗教はないが、宗教心 はある」
「(医療など)「生」の情報は溢れているが「死」の情報は少ない」
「患者さんに教えてもらうこと」

これらの言葉に、人の終末に寄り添おうとする
我々宗教者の存在意義を見出すことができそうだ。

それにしても、、、

高野山修行時代、このフォーラムに
参加したときにも思ったことだが、
僧侶の参加が非常に少ないのは残念である。

現場で活動している人は相手を「敬っている」
果たして僧侶は死にゆく人、その家族を敬っているか。
上から「導いてあげる」ことが、
真の宗教者の目指すところではないし、
万人が求めていることでないことは自明である。

学び、気付き。
特に実践 での学びをこれからも心がけたい。

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