1985.08.12 18:56 JAL123
家族で般若心経を唱え、ばあちゃんをお迎えした。
年に一度、小規模ながらお盆の舞台装置を整えると
ここぞとばかりに素直さを発揮する我が子ら、である。
日付が変わったが、520名の命が失われた事故から27年。
当時高校生だった自分にとって、
計り知れない大きな衝撃を受けた。
圧力隔壁の破損、という一応の結論は迎えたものの、
事故状況の不自然さ、多くの矛盾、∴陰謀説まで。。
「沈まぬ太陽」「クライマーズ・ハイ」は
映画、小説ともに厳粛な思いで拝見したし、
事故状況なども自分なりに調べもした。
余談だが、私の飛行機嫌いは、
この事故が少なからず影響していたと思う。
ある本に、飛行機に乗るのが怖いのは、
巨大な鉄の塊である飛行機がなぜ飛ぶのか、
その仕組みを理解していないからだ、という一節があり、
その後、素人なりに航空力学をかじっているうちに、
徐々に飛行機好きになってきた経緯がある。
ところで、この種の事故、事件、災害、戦争を
振り返るときの常套句、
「早○○年」などという表現には違和感を感じる。
遺族のかたはこの27年をそれぞれどんな思いで
過ごされてきたであろうか。
とりわけ、本質的に多くの未解決部分を残したままのこの事故で
大切なひとを亡くされた遺族の皆様にとっては
時の経過が心の区切りになることはないであろうし、
一日千秋、片時も忘れたことがない人も多いと推察する。
心の悲しみの減衰レベルは、
当事者と周囲の人とでは大きな差異がある。
年数によって周囲の人が決めるべきではない。
私は年忌法要の際、ご遺族に
「もう○回忌、いつまでもくよくよしてはいけない」と説諭し、
導き、心を支えて差し上げるほどの
経験値を未だ持ち合わせていないのである。
私にできるのは、
少しでも仏さんの功徳がご遺族の心に及ぶことを願い、
声を出し切ってお経を唱えること、のみである。
お盆である。
三界万霊へ感謝合掌致します。